育児放棄されて思うこと

※あくまでも個人的な感想を書いています。

自分の家が友達の家とちょっと違うなと気付いたのは、小学校4年生くらいの事だったと思います。

同じクラスの友達がウチに泊まりに来ない?と誘ってくれたのです。友達の家に泊まるのはその時が初めてだったので自分の家との違いにとても驚きました。

友達の家で夕食にカレーライスが出たのですが、牛肉やジャガイモ、人参が入った手作りのカレーライスを食べたのは生まれて初めてでした。

私が知っているのは、給食で出るカレー粉を片栗粉で固めたような具なしのカレーです。お母さんが作った手作りのカレーを食べるのは初めてで、「世の中にこんなに美味しいものがあるんだ!」と、思ったのを覚えています。

私の食事はすべて祖母が作ってくれていました。お米を買えない日が多く、週に4日は具なしの乾麺のうどんのみでした。でも、食事に対して不満に感じたことは無かったと思います。美味しいものを知らなかったからです。

「ブログ:月曜日は学校に行きたくない」でも書きましたが、伯父がギャンブル依存症の為、生活費はすべて伯父が持って行ってしまいます。

祖母から常にお金が無いと言われ続けていたので、泊めてくれた友達のおじさん、おばさんに対して「よその家の子供を3人も泊めたらご飯代がかかるのに悪いな」と感じたのを覚えています。

カレーライスの次に驚いたのが、友達の家にお父さん、お母さん、友達のお兄さんが住んでいたことです。

私の家には、祖母、伯父さんとその奥さん、その子供3人が住んでいましたが、その時、自分だけがなぜ服を買って貰えないのか、洗濯を自分でしなければならないのかが理解できました。私だけが他人の子どもで、伯父の家族ではなかったからです。

私の世話はほとんど祖母がやってくれたのですが、祖母は小さな頃に奉公に出されて小学校を卒業していなかったので、ひらがなが読めず、読めるのはカタカナのみでした。学校からくるお便りや印刷物は漢字で書いてあるので、重要なことでも読むことが出来ませんでした。

世間では再婚相手に連れ子が虐待されるケースがありますが、「自分の子どもはかわいいけど、他人の子どもはかわいく感じない」と言うのは人間の本音だと思います。

言い換えると「知らない男(女)の子どもよりも自分たちの子どもの方がかわいいと感じる」のは普通です。嫌々預かっている親戚の子どもを厄介者に感じたとしても無理は有りません。

そう考えると知らない男の子どもだったりする連れ子が自分たち夫婦の子どもと、比較されて差別されるのは動物の本能かも知れません。

人間ならば道徳観念があるので、虐待されたり育児放棄されるケースには繋がらないと思うのですが、残念ながら義理の父や義理の母から虐待は後を絶ちません。

子犬を拾った経験はありますか?1度抱っこしたら、ひつこくずっと後をついて来た事はないですか?「もっと抱っこして!もっと触って!もっとかまって!私を見て!」育児放棄された子どもは一生母を追い求めます。

まだ小さな子どもで、自分が捨てられたと理解できないうちはまだ何とかなりますが、自我が芽生えると「自分が棄てられた」という意識で押しつぶされます。そして親や社会全体を憎みます。

幸い私の場合は育児放棄されたのが乳児期だったので記憶が無かったのと、「お母さんに会いたい」と言う気持ちが強すぎて、10歳近くまで育児放棄された事実に気付きませんでした。

祖母から愛されていましたし、他の家庭を知らなかったので比較できなかったのが良かったのかも知れません。

不登校の時期に「自分の将来について」じっくり悩むことができたのも、良かった気がします。大人達から放置されて「自分の人生は自分で決める」ことが出来たのは最大のメリットでした。

離婚した時、再婚する時に中途半端に子どもを自分の親に預けると兄弟の家庭が崩壊します。また、再婚は連れ子が再婚相手に虐待される可能性があることも覚えておいていただきたいです。

育児放棄された子どもは愛情を表現することが苦手ですが、小さな愛をとてもありがたく大切に感じることが出来ます。

長い間深い心の闇を抱えていたとしても、大人になってからしっかりメンタルケアをして「親が育児放棄した理由と親の愛と人生」が理解できれば、親を憎む気持ちは残らないのだと実感しています。